第12チェックポイント チムニーロック (1989年9月24日)

170924

デンバーからバスで約7時間半をかけてネブラスカ州スコッツブラフへやって来た。
地図を見てもわかる通りネブラスカというところは大平原の真っ只中にある。一見何もないように思えるが、実際のところも何もない。前回のツインレークスも田舎だったがまだあそこには風景があった。ここにはそれすらなく周囲のほとんどが地平線なのだ。
ただその分、空がとてつもなく広くそして青い。でもだからどうしたという感じでもある。
「アメリカ版モーリー」。ネブラスカは今日もクソ田舎である。

この町での自由時間に他のみんなは何をしていたのかは知らないが、僕は疲れと面倒臭さ、そしてネブラスカの何もなさが追い打ちをかけたことで、やっぱりホテルでゴロゴロしていた。
CATVのMTVを見たり、10数年ぶりに目にして感激していたローラーゲーム(懐かしいなあ東京ボンバーズ。今の中高生は知らんやろな)なんかを見て過ごしていたのである。

こうなってくると楽しみなのは食事ぐらいとなってくる。こんな田舎町だからいくら何でも和食や中華ではあるまい。今夜こそは「いかにもアメリカ」という大きくて分厚い(そして多少不味い)ステーキが食えるはずだ。
午後、散歩から戻って来た秋利が僕のもとへとやって来て例の加藤さん(近ツリの)のモノマネをしながらこう言った。
「今晩ノ食事ワ、久し振りにチャイニーズということデ。」
おいおいおい、それは何だ?まさか?まさか?

そう、秋利が言うには散歩をしている途中で中華料理屋を見つけたとのこと。さすが世界を股にかけるチャイニーズパワー。こんなクソ田舎にも中華料理屋があるとは!
「でもなあ、ただ店があっただけで、俺らが行くとは限らんからなあ。」
と僕は祈るような気持ちで反論するのが精一杯だった。

夕方、加藤さんがみんなを集めた。夕食に行くのである。
少々大きめの車に乗って行くことになったのだが、もう誰も行き先を聞かなかった。
しばらくして車は吸い込まれるように「その店」の駐車場へ入って行った。

ところでチムニーロックでは一体何をやらされるのだ?
ホテルに置いてあるパンフレットや地図、ガイドブックなどを僕らは片っ端から漁って割り出そうとしたが(※1)決定打はとうとう出なかった。

結局みんなバラバラの意見となった。大平原だから幌馬車に乗ってクイズをするとか、幌馬車は幌馬車だけどその後ろに早押し機をつけ、今回まだやってない「ランニングクイズ」をやるとか。
なかでも有力だったのは、ゴールドコーストで使われたワイヤレス早押しハットが6台だったことから、ここでは多分それを使ってくるだろうという意見だった。
もちろん当然まだ「31・サバイバル」の謎もみんなの頭の中には引っ掛かっている。

ちなみに僕の「怪情報」は、大平原とワイヤレスの2点を踏まえてのもので、馬に乗って駆け回っての早押しクイズ、というものだった。
この地で気球の大会が開催されているということをパンフレットで知った永田さんは気球に乗って何らかのクイズをやるという説を打ち出していた。実は後で知ったのだがこの「気球に乗ってクイズ」という形式は本来のルートではオーストラリアのエアーズロックでやるはずだったらしかった。

まあいずれにしてもツインレークス同様、知力のみならず体力や精神力、運などが大きく左右するものになるだろうということになった。

クイズ当日の朝。僕らは会場となるバーナー小学校のグラウンドに乗り込んだ。
果たしてそこにあるのは馬か気球か幌馬車か。
いつもの通りつけさせられていた目隠しを取る。
ゲッ!
何と目の前には巨大な6台のコンボイが待ち構えていたのである。

「また予想が外れたようだね。」(※2)
勝ち誇ったようにトメさんは言った。
くそー悔しい!怪情報はやはり今回も怪情報でしかなかったのだ。

クイズ形式はコンボイに乗り込んでのリレークイズ(1問に対して解答権が順番にリレーされて行くもの)とのことだった。
これを聞いて僕はまたも「ゲッ!」となった。リレークイズは僕が最も苦手にしている形式の1つなのである。何かイヤな予感がする。

さて、リレークイズをやる前にコンボイに乗る順番を決めるための三択クイズが行なわれた。
「こんなところで…」
今回のウルトラでは札上げの三択クイズが行なわれていなかったのでホッとしていたのだが、まさかここへ来てやるとは思ってもみなかった。ますます悪い予感がする。

数分後、その予感は的中した。
1問目を木村がいきなり「1人正解」し、あっさりと1号車へ。
続いて2号車に秋利、3号車には及川、そして4号車には田川さんが陣取った。
僕よりも勘の冴えなかった永田さんのおかげで6号車は免れたものの、結局僕は5号車となってしまった。
まさかこれからとんでもなく危ない橋を渡ることになるとは思ってもいなかったので、まだこの時は、何とかなるやろ、とヘラヘラしていた。


永田さんが乗る6号車からの風景。
こんな修羅場でもちゃんと写真を撮る永田さんはホントに凄い(笑)

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

※1 僕らは片っ端から漁って割り出そうとしたが

新しい空港やホテルなどに到着したとき、僕らがまず最初にする行動が、このパンフレットや地図を漁ることだった。これはグアムの夜の奇襲クイズでの第1問、「オーストラリアとオーストリアは同じ語源からついた名前である」という問題の答がパンフレットに載っていたことに端を発する。それ日以来、とにかくみんな競うようにパンフレットを手に入れ、書かれている英語を片っ端から各自で訳し始めるのである。スタッフはそのような光景をよく目にしていたらしく、トメさんからは「今年の挑戦者は、よく遊び、よく学ぶねえ」とクイズの本番のコメントで言ってくれていた。

※2 「また予想が外れたようだね。」

このころになるとスタッフ側にも僕らの「怪情報」の噂が立っていて、クイズ前になるとトメさんたちは「今日は何だと思う?」と僕らに聞いてきていた。わざと外す気は毛頭なかったが、結局予想はただの一度も当たらなかった。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

さあコンボイに乗り込むぞ。スタートだ!
大平原の中を6台のコンボイはゆっくりと進んで行く。
右手にはヘリコプターが2機、ピッタリとコンボイに合わせて飛んでいる。
1機のヘリには出題者で高所恐怖症として有名なトメさんが、そしてもう1機のヘリには「テレビ界のボリショイサーカス」と呼ばれるカメラマンの金子さんが全身を外に出して(!)頑張っている。

クイズが始まった。
さあ来い!と気合いを入れたその直後、わずか30秒足らずでいきなり木村が正解。1抜けを果たしてしまう。
ゲッ!と思っているうちにみんな次々にポンポンと正解を出し、4号車のター兄ぃ、2号車の秋利が抜けて行った。
アラアラアラアラ…

コンボイは3台となった。
何とここまで5号車の僕と6号車の永田さんにはただの一度も解答権が回ってこなかったのである。僕は持っていた耳かきで耳クソをほじくる勢いだった。

ただ、3人になった時点で何か問題の毛色が変わったように思えた。
しかし今度は解答権は来るのだが答が全然わからないようになってしまった。
そうこうして僕がもたついている間に最後尾から永田さんが一気に大逆転を果たし、怒涛の4抜けとなった。
アリャアリャアリャアリャ…

とうとうコンボイは2台となってしまった。
東大クイズ研の及川純也と僕である。
たしかにもうこの段階では誰とラス抜け争いをしても辛いことは辛いのだが、よりによって及川とは。どうしても僕はこいつとはもっと一緒に旅を続けたいと思っていたからだ。
ター兄ぃの笑いのセンス、木村の純粋さはそれぞれ「東大」というイメージをぶち破ってくれたものだったが、この及川との出会いも僕にとっては大きなものだった。それまで少なからず抱いていた「東大生」への偏見というものを彼は完全に取り除いてくれた。そんな存在だった。
何の因果かこうして一緒に旅をすることになり、やっと打ち解けて来たというのに…。
ただ、今はっきりとわかることはこの及川が僕にとっての唯一の敵だということである。とにかくこいつを叩き潰さなければニューヨークはないのだ。

ルール上では及川の方が圧倒的に有利だった。どんな問題が出題されようとも、彼がミスらなければ解答権は僕には回って来ないからである。

死闘が始まった。
放送では僕は2問目ですんなり前へ行っているが、実はこの段階で6問も消化してしまっていた。
僕はまだなおスランプだった。「世界で最も高い気温を記録したバスラがある中東の国は?」(※3)という問題に「イラン!」と答えてしまうなど(正解はイラク)、最悪の状態だったのだ。
ただ一つ救いだったのは、僕以上に及川の方が突如として大スランプに陥ってしまったことである。
問題をことごとくミスり、「死ぬときに歌を歌うといわれる日本でもおなじみの渡り鳥は何?」(正解:白鳥)という問題でついに僕に並ばれてしまう。(実はこの問題で彼は「丹頂鶴」か「白鳥」のどちらを答えるか最後まで悩んだらしい。危ねえ危ねえ)

ようやく僕は先頭に並んだ。
ここからは僕が先攻になる。今度は僕の方が有利となる。

放送ではこれも2問目で上手く答えてすんなりと勝ったように見えるが、実際のところはここからが大変だったのだ。
僕が記憶しているだけでも5問はやっている。放送では2回、実際には1問につき3回答えられるので、両者スルーの4問の間に2人とも12回も間違っているという計算になる。
しかも1問ずつトメさんが丁寧にコメントを入れてくれるので一騎打ちになってからは相当な時間を費やした。

ただ、こんな窮地に追い込まれているにも拘らず、なんと僕にはプレッシャーはかかっていなかった。むしろ気楽にクイズをやっている自分に不思議さを感じていたぐらいだった。

だがしかし、そんな気分が一気に吹っ飛んでしまう問題が出された。僕が先頭に並んでからの「対決クイズ」の3問目である。

「今年の夏の参議院選挙中、“溶けてなくなれ消費税”という意味を込めて、社会党が配ったお菓子は何?」

問題を聞いた瞬間に血の気が引いてしまった。このウルトラツアー中、「負けたかな」と思った最初で最後の瞬間だった。
とにかく僕はこの年の夏に日本で起こった出来事をほとんど知らなかったのである。機内400問ペーパーでの「海部総理大臣のトレードマークは?」という問題に「赤いカフスボタン」をチェックしたほどだ。(正解:「水玉模様のネクタイ」)
だから社会党がどうしたこうしたという以前に、社会党が選挙で大躍進したこと自体を知らなかったのである。

そういやスタッフからは「長戸を殺すにゃ刃物は要らぬ、時事の2、3問を出せばいい」などとからかわれていたなあ。
「あー、やられたー!」
とマジで思ってしまうのも無理はなかった。

多分及川は知っているだろう。ということは僕が一発で当てなければダメで、もし外してしまったらその段階で一巻の終わりなのである。
「溶ける」「配れる」「お菓子」。さっぱりわからない。

「さあ、答えは何だ?長戸!」
うーん、わからない。でも何か言わないと。とにかく問題文を思い出せ。
あ、ヒントは「この夏」か!
急に閃くものがあり、僕は答えた。
「アイスクリーム!」

次の瞬間、当然のごとく不正解のブザーが鳴った。
終わったかー。
10年間やってきたクイズの、そのいろんな思い出が一瞬のうちに頭の中を駆け巡る。そして今回のウルトラツアーのことも。
「何でこんなところで負けなアカンねん。あと一歩、あと一歩やないかニューヨークまでは…。」

解答権が回ってきた及川が答える。
「チョコレート!」

あ、なるほどな。チョコレートな。たしかに溶けるし配りやすいわ。
まあ、後は永田さんに頑張ってもらお。

ところが、である。
何故か不正解のブザーが鳴ったのだ。
なんやて?!
そうか、及川は知らんのや!
これで状況は再び元に戻った、神はまだ僕を見捨ててはいなかったのである。

結局その問題は両者取れなかったのだが、この結果で僕は自分に不思議な力が湧いて来たような気がした。
「勝てる」
妙に自信が出て来た。
そしてついに。

「大豆の時にはほとんどなく、モヤシになると急に多くなるビタミンは?」
よもやこんなアメリカのど真ん中で昔習った小学校の家庭科の授業風景を思い出すことになろうとは! 五十島先生、ありがとう!
「C!」
一瞬の静寂の後、ようやく正解の音が鳴った。
「やった〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
勝った!とうとう勝ったのである。

いつもはズボンや胸のポケットに入れていたが今日だけはずっと膝の上に置いていた愛しのマルタの写真に、僕は何度も何度もキスをした。
今から思うとこの窮地で僕がずっとリラックスできていたのは、ずっと彼女の姿を見ていることができたからかも知れない。
¡Muchas gracias, Martha! ¡Te amo!

今回のウルトラで最も苦しく、そして最も辛い戦いが終わった。
勝負が決した直後、僕はどうしても及川と話がしたくなった。
「及川! 及川ぁー!」
すでに無線は切られていた。僕の声が彼に届くことはとうとうなかった。

敗れた及川を残してウイニングランである。目指すのはチムニーロックだ。
独占している国道のあちこちに散らばっているスタッフたちがことごとく手を振ってくれる。
そして全員から「おめでとう!」の祝福を受けた。
「ありがとう!ありがとう!」

チムニーロックが見えて来た。
先に抜けた4台のコンボイも待っている。
勝者4人は僕か及川か、どちらが勝ったのかは知らされてはいない。ただでさえヤキモキしているところへ、2人して延々と30分以上もクイズ対決をしていたものだから待ち時間はとても長いはずだった。みんなも心中穏やかではなかっただろう。

僕が姿を現わすとみんな悲喜こもごもの声を上げた。
東大の2人はやはり及川に勝って欲しかっただろうし、秋利はこの先の展開を考えて僕に負けて欲しかっただろうし。
ただ永田さんはその逆だった。ともにさっきまで死線をさまよった仲である。お互い顔を見合わせ抱き合って喜んだ。(※4)
まだ2人とも生き残ってるんや!

次なる戦場はテネシー州メンフィス。果たして鬼が出るか蛇が出るか!


コンボイ5号車から撮ったチムニーロック。
落雷で折れて半分になったそうだが、
そうでなかったらすごい迫力だったんだろうなと思う。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

※3 「世界で最も高い気温を記録したバスラがある中東の国は?」

その後、バスラの記録は昔の観測員の記載ミスだったということで無効になり、現在ではアメリカのデスバレーが世界最高気温を記録した場所となっている。

※4 お互い顔を見合わせ抱き合って喜んだ。

5台目のコンボイが広場に到着しようと向こうからやって来たとき、永田さんは僕のコンボイと及川のそれとを見間違えたのだった。
永田さんはそれで僕の負けを一旦自分の中で受け止めた。しかしもっとコンボイが近づき、僕の名前を確認するや安心して泣いてしまったのである。
コンボイが終点の広場に到着し助手席から下りてきた僕が最初に放った言葉は
「わっはっはっはっは。負けるわけねえじゃーん。」
だったのだが(それを聞いていたトメさんは笑顔で「あれだけ間違えて偉そうに言うな!」と即座にツッコむ)、笑顔の僕に対して永田さんが泣き顔だったので逆に驚いた。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

このチムニーロックでのクイズ、僕は絶体絶命だったんだけど、これはスタッフのイタズラというか罠が原因だったりする。
最初の三択クイズで僕と永田さんはそれぞれ5号車と6号車になった。しかしあれは偶然の産物ではなかったのだ。
スタッフはそれまで楽勝にクイズをやっていた僕らに試練を与えて試してみたのである。
もちろん事前に問題を教えるなんてことはあり得ないから、三択クイズの結果は全員の実力であるのは間違いないところだが。

仕掛けは1問目と2問目にあった。
VTRを見れば確認できるが、この2問は数字やそれに準ずる問題が出題されている。
正解はともに2番なのだが、それが『第13回』最大の罠であった。

テレビでのクイズではこういった手の問題では必ずと言っていいほど「極端なものが正解になる」という古典的な法則がある。「正解は○○です!」と発表した時に驚きを持って迎えられるからだ。
だから僕や永田さんは数字の問題にはほぼ自動的に「2番」という選択肢が頭から消えるのである。
多分、秋利もそうだろうし田川さんもそうだったかも知れない。クイズ研3年目の及川もこの法則はわかってるに決まっている。
つまりあの問題で引っかからない可能性があるのはクイズ歴が最も浅い東大1年生の木村だけなのだ。

当然もしあの問題で木村が間違えていれば問題そのものが放送されることはなかっただろうし、その後さらに2問続けて「2番」が正解となると、いくらなんでも僕らでも気付く。だから1問目で「長戸・永田以外の誰か」が正解を出すのはスタッフの願いであり、祈るような気持ちで見ていたことだろう。
果たしてスタッフの祈りは通じ、木村は単独正解で1号車に乗り込んだ。
多分スタッフは大喜びしたに違いない。

そして続く2問目。やはり僕らは「2番」を避けてしまい、この段階で僕ら2人の最下位とブービーが決定した。

問題の選定や出題順はクイズの前夜に決まるのだが、多分夜中のその会議で
「これ、あいつら絶対に1か3を挙げるぞー」
「2問続けたら焦るぞー」
みたいなことを言っていたに決まってる(笑)

くそー!(笑) やられたぜ。
まんまと罠にハマったわ。
あの三択では秋利はちゃんと2抜けを果たしてるから、いくら「クイズ研潰し」の問題であっても、ドンくさいのは僕ら2人の方なのである。

まあでもハードな労働であればあるほどアフターのビールが美味いみたいに、試練があった方が優勝の味も格別になるのだ、と強がりを言っておく(笑)
ウルトラクイズでは挑戦者同士は尊敬すべき仲間ではあるが敵である。スタッフも信頼すべき仕事仲間ではあるが、やはり敵なのである。

というわけで、次のメンフィス篇は明日、25日の夜に。